notes

健康と病気、からだと心、治療と治癒について、読んだ本と考えたことの記録です。

正常な反応

ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』みすず書房,2002年.

 ゴットホルト・エフライム・レッシングは、かつてこう言った。
「特定のことに直面しても分別を失わない者は、そもそも失うべき分別をもっていないのだ」
 異常な状況では異常な反応を示すのが正常なのだ。精神医学者の立場からも、人間は正常であるほど、たとえば精神病院に入れられると言った異常な状況に置かれると異常な反応を示すことは、充分に予測できる。強制収容所の被収容者の反応も、異常な精神状態を示しているが、それ自体は正常な反応であって、このような状況との関連に置いて見るかぎり、典型的な感情の反応なのだ。(p.31,32) 

 私たちの身体が示すさまざまな症状は、この「正常な反応」に当たるものだと私は感じています。

例えば、私には生後間もない頃から色々なものに対するアレルギーがありましたが、一番多いのが食べ物でした。卵、牛乳、小麦、米、大豆、肉、そして特定の野菜や果物。例えばお肉の場合は、一般的に食べられている牛、豚、鶏などにはアレルギー反応を示しますが、食用としては比較的稀なカエルなどは大丈夫だったそうです。最近でも、お刺身を食べて口が痒くなることがありますが、養殖のお魚である場合が多いです。

私の家族や親戚にはこのようなアレルギーを持った人は一人もいないので、自分ばかりが「異常な反応」を起こす、欠陥のある体に生まれたのだと考えるのはとても簡単なことでした。

34年生きた今なら、それは違うと確信を持って言えます。アレルギーを含むさまざまな症状は、その時の自分の体にできる、その状況に対する最も正常な反応であって、それは体そのものが正常であるからこそできる反応だと思うのです。

私がアレルギーを持つ食べ物は全て、人が昔から食べ続けてきたもので、食べ物として生産される過程では自然とはかけ離れた環境で育てられたものも多くあります。農薬や肥料、遺伝子組み換えや人工交配、抗生物質といった、その不自然さに体が反応したとしても不思議ではないと思っています。

反応の対象は、あるいは色々な形のストレスかもしれません。身体の許容範囲を超えるストレスを、物理的にでも精神的にでも受ければ、身体が正常であればこそ、正常な反応として、症状という形でそれを示すことができる。

症状は火災報知機の「音」だと私はよく言いますが、音が鳴るのは報知機が正常に機能している証拠です。火災という異常な状況に対する、「正常な反応」です。現代の医療では、この火災報知機が鳴っているときに、音がうるさいからと言って、報知器そのものを壊したり、電源を抜いてしまうような、本質的でない治療がとても多いと感じます。

もちろん、病には色々な側面があって、これはそのひとつに過ぎません。でも、病に苦しむ人に対して、「あなたの身体には異常があるのでそれは治さなければいけません」と言うのではなく、「あなたの身体はとても賢く、正常に機能しているので、その身体が今起こしている反応が何を示しているのか、その原因を探って解決しましょう」と言える治療に携わりたいと思っています。